暇のための暇なし

やる気の波が激しめな地方の20代共働き女性。いろいろなことを広く浅く。本の感想にはネタバレが含まれていますのでご注意ください!

夢を諦めたときの話

私は大学3年生のとき、当時就きたかった仕事を諦めて、現在就いている仕事を目指すことを決めた。

当時就きたかった仕事というのが、目指してもなれるかわからないし、なって給料を貰うようになるまで年数のかかるもので、就職活動を目前に控えて際限のない不安に襲われた大学生の私は、今の仕事という安牌を選んだのだ。

 

というのも、私が育った家庭は所謂機能不全家庭で、家族をかろうじて繋ぎ止めていたのは、手に職を持ち、現役でお金を稼いでいた80代の祖母だけだった。

祖母は足腰が悪く、いつまで仕事を続けられるかわからないし、その他にも、高校生の弟の進学費用が全くないことや、浪費家の母、糖尿病の祖父のことなど、我が家には暗い話題しかなかった。

家族という自分の足場がいつ崩れ落ちるかわからない中で、ただの学生の私には、心に安定をもたらすような拠り所がひとつもなかった。

だから、自立して家族という呪縛から逃れるために、自分の存在を確かなものにするために、就職先というものが一刻も早く必要だった。

自己紹介のとき、堂々と人に言える肩書きのようなものが、当時どうしても欲しかったのだ。

 

もちろん、目指す職業に就く自信がなかったというのも理由の一つだと思う。

社会人としてやってきて数年、ここ最近、大学の後輩が当時私が目指していた職業に就いたとか、そういう話を聞いて、素直におめでとうと思うことが全くできなくて、むしろ悔しい思いでいっぱいになって、そんな自分の小ささが嫌で悲しかった。

どんなにリスクがあっても、挑戦しないで諦めたらずっと後悔するんだ、当時の自分は自信がなくて逃げたんだ、どうして戦わないで逃げるという選択をしてしまったんだろうって、過去の自分を責めたりした。

 

だけど、正月休みに帰省して、むしろ悪化している実家の現状を見ると、当時の自分の気持ちがよくわかる。

就職してからの数年、祖母からどんな話を聞かされても、暗闇に囚われることなくいられたのは、一応安定した就職先で毎月給料を得ていて、家族がバラバラになっても野垂れ死ぬことはないだろうという、小さいけど確かな自信があったからだったということを思い出した。

もしあのとき諦めていなかったら、奨学金の借入額ばかりが膨らむ先の見通せない中、押し寄せる不安で心が壊れていたかもしれない。

だから、あんまり昔の自分を責めるのはやめようと思う。

そういえば、当時決断したときも、とても辛く悔しかった。友達にもなかなか言い出せなかった。流されて逃げたんじゃなく、ちゃんと考えた末に選択したんだった。

 

だから、考えるとすれば当時のことじゃなく、これからどうするか、これからどうしたら人の成功を素直に祝えるような自分になれるかじゃないか。

 

と、お正月に帰省していて思ったのでした。

 

来週から仕事が始まります。

日常生活がんばるぞ!